ずっと
ずっと思ってたことだけど、
集中力が信じられないくらいなかったり、急に思い立ったときにしか行動できなかったり、衝動的な買い物でしか物も買えないし、それで買うから使わなかったり腐らせてしまったり、ひとつのことに意識が向いてほかのことがボロボロになってしまったり、
ね、なにかとは言わないけど、ずっとそういうことに理由があるとは思ってるのね、
昔調べたりしたし、勝手な自己診断みたいなのしょっちゅうするけど、まあ「わ〜自分だ〜」ってなっちゃうし超当てはまる〜ウケる〜
(もちろん程度もあるから自分がそうかは言い切れないけど、たぶんみんなから見えないかもしれないけど見えてるかもしれないけどけっこう重めではあると思うよ、ひとつひとつのエピソードが重い)
それが自分だし無理しようとしてもできないから、こうやってぬくぬくと生きてきているわけですが、
ふつうではないこともわかってるし、ふつうでいたくないから全然良いのね、たのしいし、
急にくる自己嫌悪も、急にくる客観性も、悪くないから、それで新しいものが見えてくるから悪くなくて、
こうやって文章に起こすことに対して心配されることも多くて、わかってくれるひとがすきだからそういうひとが周りに多くてだいすきなんだけど、わかってくれないひとは「大丈夫?病んでる?笑」みたいに言ってくれるんだけど、考えることがすきだから心配しないでほしいし
わたしのすきなひとたちはみんなすごく考える人たちばかりだから、それはそれは居心地いいよね、いつも研究発表会みたいでたのしい
だからベースが「うーんダメダメだ〜」ってなるけど「まぁいっか〜どうにかなるか〜」でがんばって乗りきってきたから、きっとこれからもそうしかできないし、そうしていくしかわからない
改善しようと思っても根本が難しいから
考えていることが急に可視化できるような文字になって襲ってきたり、1時間のなかで情緒がおろおろしたり、こうやって文字に急に起こしてみたくなったり、苦手なことと得意なことの差がとても激しいのも、
がんばって擬態して自分なりにがんばってはいるから、「生きてるだけで愛」見て自分見てるかのようで共感が多くて泣いちゃったことも、
それでも
知らなければしあわせだったのにっていうことも、知っているからこそたくさんしあわせがあるだろうと思えるように、
知ってるほうが損なはずないから、きっと
そう思ってたのしく時間を流していきたいもんね
そうやって時々励まして、お布団でぬくぬくしたり、しょっぱいポテト食べたり、かわいいお洋服買ったり、つよめのメイクしたり、たのしく毎日過ごしていこうね、無理できないから