気持ち悪い

なんかきょう気持ち悪い、いまね、

 

帰り道ずっと疲れてておうち帰ったらあらこんな時間っていう日々

会社いるときはたのしいんだけどね!ちゃんと!

 

ずっと探してる、自分がじぶんでいていい場所を

 

会社でもいろんな人とお喋りして「たのしい!」を重ねられるようになった、

いろんな同期ともなんとかたのしくできるようになった、

 

先週末、中学のときからの友達と無限テレビ電話をしました(昼11:30〜朝の5時とか)

わたしが、色々苦しんでたから話聞くよ〜って言ってくれてたけど、それ以上にふつうにお話できることが嬉しくて苦しい云々は午前2時くらいになるまでしませんでした

わたしの「ふつう」でいていいことへの嬉しさ

 

だいすきな同期の子がいて、

けっこうツンツンしてる見た目だったりはっきりしてる口調だから、みんな怖がってるんだけど、

本当はすごく寛容なんだよね、

わたしが変なこと言ったら『なに言ってんねん』ってすごく笑ってくれて、『ほんま変わってるな〜』って言ってくれる

 

この前もその子といられるのが嬉しくてほぼ無意識に「るんるんるん」って言ってしまって、『るんるんって言葉に出すひとはじめて見たわ』って言われた

たしかに(自分でもびっくりした)

 

その子とは4月にはじめて会ったときにお互い『なんかめっちゃ好きな気がする!!!!!』ってなって相思相愛してる(ガチ)

具体的な理由がずっとわからなくて、でもここ数ヶ月いろいろ味わってやっとわかった

 

 

変わってるなって思っても否定はしないから、

「うわ〜無いわ〜」じゃなくて、「そんな考え方の人もいるんだね」ってなってくれる

だからわたしがすきに話せる、気を許せる

気を許しすぎてめちゃくちゃ抜けてるときのわたしになっちゃう(仲良いひとのまえでしか出てこないよ、レアだよ)

いつもしっかりするようになっちゃうから、(仕事じゃないときで)自分気が抜けてるときは嬉しくなる、それで許してもらえる環境が存在することがうれしい

この前も、わたしがお昼の冷麺の汁を自分のスカートにこぼしたり、手がいっぱいで傘がたためなかったり、スーパーで買ったもの袋に入れたかったのにうまく頭が回らなかったとき、そのラブな子が『もう〜』って言ってて、わたしが「いつもはちゃんとしてるんだよ〜」って言ったことに対して、『うそやろ〜』ってまじめに言ってた

 

無意識に気を張ってる、ちゃんとしなくちゃみんなに言われるって思って

 

そのあと、彼女と別れたあと、

いつもの同期たちと会って、また誰かが何か言って「それはないわ〜うわ〜」とか「それはおかしい」とか言うのを聞いてかなしくなった

別の話をしてたとき、ドラマの話で「わたし○○嫌いなんだよね〜」って登場人物を嫌いだって言ってた、わたし好きなわけでもないけど、嫌いではないから、「え〜なんで嫌いなの〜(ふわふわ)(ニコニコ)」で会話を続けた、

否定されることに敏感なのかもしれないけれど、お互いに否定することに嫌味がないのかもしれないけれど、

 

全てを知りもしないものを全否定するのは世界一有り得ないとして、否定の気持ちを共鳴することで親しくなる友情にわたしは存在価値を見出せない

素敵な、美しい、ものを見たいから、わたしは友達が好きで、みんなの至高な考え方、生き方が尊敬できるから、それぞれがそれぞれで美しいからだいすき

もちろん負の気持ちがあるのはそれも美しい、理由があるから、ただ自分が「コレキライ!」ってなって簡単に否定しないから

 

わたしが人の気持ちを考えすぎてたころ(1年前くらい)、人の気持ち通り越して物に対しても配慮してたのは流石にやりすぎてた

 嫌いな食べ物とかも、友達に話すときでさえ「もちろん好きな人もいると思うけど、けど、わたしは苦手かな」って答えてた、どこまでも続く配慮

でも、行きすぎた配慮は自分を苦しめるから良くないよね(上は自己肯定感最悪のとき)

 

 

人の気持ちを考えろ〜!!!!とかじゃなくて、

自分が絶対的価値観で世界を見られるのが羨ましい、わたしにはその自信がないから

自分の気持ちが「基準」で世界を判断できる、その価値観が羨ましい

幼いけど、浅いけど、ただの平面的な世界だけど、それしか無いと思えたなら、

 

こちらからすると薄い幸せだけど、当人からすれば幸せな世界なんでしょ、きっと

その幸せを身体全部でかんじられるならそれ以上に幸せはないでしょ、

渦巻く思想に、取り憑かれてるから、手放しに幸せを噛み締めることが難しくなってる、勝手に難しくしてる、勝手に、勝手に

その先に希望があるならいいけど、ちゃんとしあわせだなぁと思えるときが、瞬間が、全てがこの、苦しみが、悲しみが、報われるときが、訪れるならそれを待ってるよちゃんと来てくれるなら

 

 

いっぱい考えるひとのほうが不幸になるなんて不平等な世界だなって、思って、先週今週はじぶんの好きな本が読めなかった

 

忘れてる知らないことが多いほうが楽なら。簡単に笑えるほうが楽ならそっちでいいじゃんって、

でもそんな振りしてそっちに行ってもどうせ満足はできない、その薄さに気付いてしまったから

 

迷うね、結局どうすればいいのかな、

 

取り敢えずでもわたしはこのままでいようと思う、なにか、希望が見える気もするから、わたし自分の勘はけっこう信じてるから

 

 

 

おやすみなさい、いい夢見ようね

 

 

追記

 

最近「僕の僕はどこだ」状態が続きすぎて、だいすきな靖子ちゃんのだいすきなピンクメトセラが全然聴けなかった、今度聴けるといいな