無題
正直「死にたい」って思う気持ちなんていつでもあって、その浮き沈みを操って、なんとか日々をこなしてる
きょうは特に酷いな〜って思うときがあって、うわ!めっちゃ生きてる!ってなるときだってある
だから全然余裕で死にたいと思う気持ちもわかるし、その事実に驚きよりも耐えられなかったんだろうなって共感が生まれる
あ、みんなそういう気持ち持ってないんだって逆にびっくりする、あ、死にたいっていう気持ちが常に底に眠ってるものじゃないんだって現実との乖離に気付かされる
毎日さいこうだぜ!なんて思えないから、ちょっと良いことあったら「まだちゃんと良いことは存在するんだ!」って喜ぶし、わかってくれるひとがいたら希望を少しもてる
たぶん普通より基準が低いんだろうな、たぶん
わたしできないこと多いし、(人と比べるの嫌だけど)人より劣ってるところはたくさんある、余裕で、自慢できるくらい、恥ずかしくてあんまり出さないからバレてないところたくさんあると思うけど
はやく10万円の請求の紙出さなきゃ、周りと「まだ届かないね」トークするの疲れちゃう、自分はまだ出してもないのに、お金ほしいけど紙を出すっていう手間が永遠にかけられない
でもそのぶん苦しい人の気持ちが誰よりもわかると思ってる、
わたしよりも優れてるひとばかりの世の中なんだから、みんなにはちゃんと生きててほしいって常に考えてる、だって誇れるところなんてたくさんあるんだから
人の気持ちがわからないヤツだっているし、そういうひとは許せない、軽はずみでぐさぐさ人を傷つけて、知らない間に自分以外傷だらけなのに真ん中で笑ってるようなひと、
それは駄目だけど、でもそれでも笑ってられるような精神を持てるのは羨ましい、それが楽しいって思える強い気持ちがあるのは凄い、(自分がなりたいかは別として)
そういうわたしと相容れないひとがいる反面、わたしが好きだと思ったひとたちは間違いなく魅力的だから絶対につよい自信を持っていてほしいってずっと願ってる
その自信の根拠はわたしがいつまでも説明するから何回でも言うから絶対に持ってて、そこだけはわたしを信じて
自分の発言すきじゃないけど、人のことを思ってする発言はちゃんと責任取るから
っていうのを、わたしは花ちゃんの一件でつよく思った、
嫌なこと言われたとき、嫌なことがあったときのショックで今までの全ての美しいが上書きされてしまう気持ちがわかるから
「嫌なことなら 楽しいことで消しましょう なんてざけんな 消えない消えない」っていう靖子さん(「わたしみ」)の影響なんですけど、元気に
無理だよなふつうに
常にギリギリのふちで人を信じて「大丈夫な気がする!」で生きてても、「あ、やっぱり無理だな」って気づいちゃう日が来ちゃうもん
全部が絶望に思えるもんね
わたしの人生ではまだ深い絶望と向き合わされたときは幸いなことにないけど(たぶん)、小さな絶望がひしめいてわたしの日々を作ってる
だから小さい現実たちがつよい根拠として、つよい絶望を作り上げてる
1番しんどいじゃんウケる(全然ウケない)
だから、小さいものと何回も向き合わされてるわたしでさえギリギリでいるのに、みんなちゃんと生きてて本当に偉いよね、いまここにいるだけで百点満点だよね
みんな重い悲しみ、強い絶望とかいろいろあるはずなのに、ちゃんと乗り越えて立ってることが本当に凄い
もっとみんな自分がすごいこと気づいたほうがいいよ?マジで、ガチ
「天使には汚すぎる世界だった」っていうフレーズがあるらしい、Twitterで見ました(基本的に全ての情報源がTwitter)
たしかにそうだよね、嫌なことたくさんあるし、汚いものばかりだし、
そりゃ辞めたくなるよね、って思っちゃって
でも、自分の周りの人、友達とか知り合いがみんな凄い悲しんでて
あ、そっか、ひとが居なくなると悲しくなるひとがいるっていう事実を忘れてて
(自分も花ちゃんいなくなってめちゃくちゃ泣いたのに)
常に消えたいと戦ってるわたしがもしたとえば本当に消えたとしたら、悲しむひとがいるのか!って思い出した
友達に、昨年のわたしの誕生日に「○○(わたし)は気づいたら消えそうなので絶対に長生きしたください!わたしが毎年誕生日お祝いするので!」って言われて、自信なかったからあはははって笑って「いけるまでがんばるね〜」って言ったけど、
そっか、人って人のこと思ってる以上に大事だよなって改めて気づいて、昨日
「簡単に死にたいなんて言わないで」って泣きながら怒られたこともあるけど、そっか、わたしが他人に対してこんなに言うなら自分に対してもそう思わなくちゃいけないのか、って案外すんなり腑に落ちて
まぁそれでも自分が自分の為に生きるつよい理由は思いつかないから、活力はないけど、ごめん
もし自分のせいで悲しむひとが生まれてしまうならそれは嫌だからやめよ〜って思いました
それは友達とか家族とか、わたしがわたしを大事にはまだ自信持ってできないけど、周りを大事にするにはちょっとでもわたしを大事にしなくちゃいけないのか…と…
って勝手に思ったりしてる、昨日と今日
彼自身につよい思い入れはあんまりないけど、色んな人が彼のことを思って悲しんでいる事実は、彼がどれくらい素敵なひとだったかっていうことを物語ってると思います
彼のことを愛してるひとがたくさんいるんだよ!それだけで凄いことだ〜!
もう会うことができない見ることができない事実は覆せないけど、忘れないでいることが1番だよね、そしたら彼が自分の選択肢を、理由はまだわからないけれど「しんどいよね、わかるわかる」って言えるから
「信じられない!なんで!!!」って掴みかかれるほど彼のことを知らないから、本当のことは本人にしかわからないから、こうやってゆっくり書き出さないと全てを知ることなんてできないから
今までたくさんお疲れさまです、とっても素敵な方だと思ってます!
薄い感想かもしれないけど…ゆっくり休んでたまにチラッとこっちがどうなってるか見に来てほしいね、嫌なこともたくさんあるけど人々がひしめき合って生きてるよ〜って
追記
こういう文章を書くと自分がどれほど靖子ちゃんに影響を受けているかわかるんだけど、
改めて靖子ちゃんの歌聴いていたら、本当に
靖子ちゃんがいたからわたしがなんとかわたしとして踏みとどまることができて、靖子ちゃんがいたからわたしがわたしで間違っていないってことを肯定してもらっている
概念なり思想から、たくさん肯定してもらってる、苦しみながらも、それでいいんだよってたくさんいつも
だから、靖子ちゃんがだいすきで大切
って改めて気づいてる、きゅるきゅるを見て靖子ちゃんがカッコいいって思ったときの衝撃を思い出してる、わたしもああやってカッコよく生きたいって無意識のうちに惹かれたんだろうな
だいすき、靖子ちゃん
不思議な追記でした