ゾンビ
靖子ちゃんがZOCのYouTubeのインタビュー1で、
『現代の人たちはみんなゾンビで心がないから、心を取り戻して人間にしてあげるのがZOCの活動』という風に言っていて
しかも『人間はみんな加虐的、でもそれを全部禁じるのは人間ではなくなるから、お互いに加虐的なところを認めてお互いに出さないようにいいマナーを持っていい関係性を築こうっていうのが理想』
『ゾンビでなにも考えずに垂れ流すほうが楽だけど、加虐性を持ち合わせている人間であるということを忘れてはいけない
ネットでだれかの悪口を言うのも自分に対しての否定、自分が「人間ではないです」っていう現れ』ということを言っていて
バーって言ってたからいまから理解します
ネットリテラシーじゃないけど、自分の言葉で誰かを傷つけることがあるってみんな自覚してないよね
言葉のちからをわかっていない
…これわたし2・3年まえくらいにめちゃくちゃ言ってたやつじゃん笑 あれ去年かな?わからないけどずっと言ってる
自分の主観をぶつけるのがSNSだと思ってて、それは相手が見えない状態で裸の王様でいられるからそれはそれは居心地が良いよね
でも不特定多数が見ているからこそひとつの言葉でさまざまな解釈がうまれてしまう
上のスクショは、18年5月にあった「SNS展」に行ったときの感想なんだけど、
行って改めてSNSっておそろしいって思って
*SNS展はLINEとかが主催で、いろんなアーティストがSNSとはなにかを表現していて、基本的にはSNSがあってよかったとか救われたのものが多かった…その中でもわたしが気に入った表現が下の写真たち
SNS展にあったパネル?いろんな人不特定多数がSNSについてどう思うかっていうのを集めた展示エリアでみんなSNSを称賛してるんだけど、
たしかにあらゆるものが身近になったり、自分の知らない世界が広がったりしたのはSNSの良いところだけど、
そこじゃないっていうか…それ以上のデメリットもあるわけで…
すごく攻撃的な人を見るようになったよねやっぱり…日記の文章にも書いてたけど、Twitterとかは自分の強く思ったことをそのときに書き留める役割もあるだろうからどうしても強い言葉が残ってしまうよね、
相手を考えるとかはなく「自分はこう思います」の意思表示、
それがTwitterの良いところで悪いところ、会話をベースにしてないからただ自分の主張で終わってしまうから、たとえばなにかへの批判だったとしたら、その何かをすきな人がいたりしたら「わたしとは違う人だ」って思って気持ちが断絶しちゃうかもしれない
だって、○○が好きです!っていうひとの目の前で強く「○○がすきなひとはありえない」とか言わないじゃん【普通は】、でもTwitterっていう不特定多数に向けて(基本的に)自分の考えていることを発信するツールでなら別に強めに「○○がすきなひとはありえない」って言えるからね、○○がすきな1人を気にする理由はないから
勿論対面であっても顔が見えなくてもひとのすきなものを否定するのは嫌いだけど
でも、その「ひとのすきなものを否定しない」ができるひとって本当に少ないんだよね、実は!!
靖子ちゃんがだいすきだからそういう場によく遭遇するの!
わたしが靖子ちゃんすきって言うと(面と向かって)「うわ〜メンヘラじゃん」とか「(わたしが)やばいことがわかるわ〜」とかシンプルに「(靖子ちゃんの曲がすきなことが)こわい」とか言われることが多々あって笑
その人が内心そう思っているのはいいんだけど、人にそうやってレッテルを貼られるのは心地よいものではなくて…
しかも靖子ちゃんの曲ちゃんと聞いたら全然そんなことないし!一般的に言われるイメージをそのまま享受して何も考えずにまたそのすきなものを大事にしてる人に対してぶつけるって相当失礼
「やばいって言われてるけど本当はどうなの?」とかせめて…せめてちょっとでもこっちを考えているならまだしも(いや言われるのもいやだけど笑)、自分の勝手なイメージをぶつけられるのはわたしにも靖子ちゃんにも失礼…
まあ、だからそういう配慮ができないのがSNSだよね
わたしたちの周りはふつうに本名と結びつけてやってる人が多いから、周りを考えてあんまり攻撃的なこと言う人いないけれど、
わたしたちの知らないような人、芸能人に暴言吐いたり、いろんなものを否定する人、はたくさんいるよね、悲しいことに
花ちゃんのことだって
彼女のことを考えずに、無関係なひとたちが彼女の行動の理由とか普段のこととか知らないことたくさんあるのに、たまに目にした大きな行動に対してストレートな罵詈雑言浴びせて
本当に目にしたものをそのままストレートに受け取れる純粋さは羨ましいけど、あまりにも浅はか
考えることができないのをありのままに表現していてすごく醜かった
それが靖子ちゃんの言う「ゾンビ化」なんだろうね
対話すれば、ちゃんと考えれば、勿論その行動の裏にはこういうことがありました、だとか、
普段はこういう人なのにこういうことがあったからああいうことをしました、とかがわかるのに、
単純なものを解釈せずに素直に受け取って1しか知らないのに1000くらいまで知った感じで悪く言うのよね、本当に
基本的に悪口ってそういうものだから人に対してはあんまり言わないけど、
ちゃんと考えてそれでも自分にとっては理解不能なときの「愚痴」と、単純に考えを放棄したときの「悪口」は違うからね
(なんか今まで書いてきたのもがいろいろリンクしてきた気がする)
*参照:「諦め」、水野しずの「(本当に)キレてないですよ」←これめちゃくちゃ良いよ
(水野しずの文章の内容(あくまで大体))
議論した末にちょっとヒートアップすると「なんで怒ってるんですか?」って人に聞いてくる人って、自分で考えるの放置して、自分が理解できないものを『おかしい』とする=思考停止
なぜそこまでして議論しているかのこっちの気持ちを『おかしい』ってして、そうヒートアップする人に対して対等に向き合うとかじゃない、
「自分が良いと思わない=悪」みたいな概念かなたぶん、あまりにも自己中心的
ほかにあり得る可能性を自ら捨ててしまうのは勿体ない
えーっと…?着地点は…?うーん…
けっこうSNSいるじゃないですかわたし、Twitterに大体いるしずっとなにかしら言ってる、すきなものがあったときとかはインスタにあげたりしてる(ひとのストーリーは大体見れない)(これもまた今度書く)、
Twitterにいっぱいいるからこそ、享受してばかりがすきじゃなくて、思ったことを独り言みたいに言ってる、でも自分に対してとか、違和感を持ったことを断片的に書き出して、あとから考えるように出してる
知らないものに対して決めつけることはしないようにしてる、自分の無知が晒されるのが恥ずかしいから
わたしは無知さがバレるのが嫌な無駄にプライド高いタイプだからなのかもしれないけど、
意外と世の中には無知を恥だと思わないひともいるみたいだねたぶん、無知に気付いてないとか
正しい正しくないはないけど、よりよい人間になる為には「無知の知」は必要だよね、謙虚に
踏み込んだところが他人にとっては来て欲しくなかったところだってあるだろうしね
(職場で「ばっちり化粧とかメイクしたら綺麗系だよね」って言われて(めちゃくちゃ余計なお世話)、わたしじゃない子が「小さくてかわいい」「そのままでもう十分かわいいよ〜」って言われてたんけど、
わたしが「小さくてかわいい」になれないことに対してめちゃくちゃトラウマ持ってることはその発言をしたひとは知らないからね(個人に対する無知)
しかも一方を褒めることでもう一方が傷つくことを知らないし(女心に対する無知))
だから、自分の言葉ひとつで人を傷つけてしまうかもしれない危うさを理解して、その上で人と向き合わないといけないよね、(すべてを恐れる理由は全くない!) ただ、自分は大丈夫だから大丈夫とか、自分の善悪と他人の善悪の基準が同じなはずないし、そこの見極めが大事だよね、
その見極めを放置してぶつけるのは人間じゃないよね、っていうことよね!相手のことを考えて、向き合うことが大事だよね
っていうのが靖子ちゃんの発言から発展した考察?、日々のまとめ、大袈裟かもしれないけど、長くなったけど