同志
新年あけましておめでとうございます!
2019年、何かが変わるようで変わらず、自分の個性を少しずつ認め始め、理解し、人と同じところ違うところ、それがいっぱいあって自分になることがわかりました
嫌だけど人のことを決めつけてしまうところがあるのでそれは良くないなぁって思いながら変えていきたいとおもいます、が、自分の直感は信じているし、間違うことが少ないので、あくまで信用性の少しある判断材料くらいに留めておこうと思います
自分の自由な時間をここまで与えられて好き勝手に生きているけれど、
それでいろんな関係を断捨離したり、取捨選択していくうちに、どういう環境が自分にとって居心地がいいか、自分はどういう人間なのかとかがよくわかってきた気がする
都合良いだけの現在と未来を信じている面もあれば、実際は第三者くらいの目線でその場を見ていている面もあって…それは冷静だと考えれば良いことかもしれないけど、情熱だとか当事者意識だとかその場を楽しむ気力とかがないんだよね、実は
相談とか受けて自分の頭の中でぐるぐるって(自分なりに)はやいスピードで考えて…広く落ち着いて答えを出すけど、そのひとが大事だから、そのひとのことを思うと冷たい答えになってしまうことが多くて
恋愛相談とかそうだよね、いくらその子が好きな人でもその子を傷つけたりしそうな人だったら絶対に嫌だ
だから、
「あなたのことを思って」っていう前置きを使わなくちゃいけないのはわかる、でもその言葉は本当だから、
前置きをすればなにを言っても良いっていう事実もあるけど、でもそれ以上に真摯に向き合ってしっかり答えたいからそうなってしまう!ごめんなさい!
さいきんすごい自分を周りを俯瞰的に見てる気がする、冷たい、
○○なひとは**をするみたいな予想で頭を埋め尽くされる、すごくよくない、だから初対面で身構えて、何回か会ってもその構えはとけず、とけたとしても結局その**が合ってたりして悲しくなる、
自分の予想の精度が上がっていく
完璧な正解ではないけれど精度の高さから信用も上がってしまう、良くない
というのも!
大森靖子好きな子に会っていろいろ話していくうちに、「周りとの壁を作りがち」「病んで寝たら治るよね」みたいなところですごく同意してもらえてうれしかったの、
でも壁を作った際に近寄ったひとに拒絶というかつよい拒否を出すみたいで、その壁が一瞬にしてトゲトゲの針みたいになってしまうみたいだった
わたしは壁作ってることに気づかないし気づかれないから、気づいてくれたひとには何重にも扉があるけど入ってもらうようにしてる
この対応の違いでわたしが偉いとかそういうことではなくて、いろいろ経験したりして、わたしが絶対的正解ではないからこう思えるようになったんですよたぶん、自分はまだ未熟だから
自分の考えに陥ったり、他の人の声が全く聞こえなくなってしまうことって恐ろしくて、みんなが敵みたいに思ってしまうのであれば、良くない、、よね、、?
この気づきみたいなところがあるかないかっていうだけなんだけど、
他のひとをちょっとだけ信じてみるとかだけでもすごく違うし、頼れる人がいることにやっと気づけて気持ちが楽になる、
靖子ちゃんが好きという共通点だけで、前述した会話とほかのひとから聴いた話だけでここまで言えちゃう自分がいやだ、でもたぶん本当
独りで生き抜いてきたことで強がりを武器にして、あってはいけない自慢を作ってしまったことで、自分はこれから先独りでも大丈夫かのように思ってしまってるのだと思う
ひとりじゃ生きていけないし、友達によって助けられてる自分だってたくさんたくさんいる、
ただ、そのことをわからずに他の人の人生を背負ったり、「自分は強い」ってほかに押し付けていくのは違う、強いだけじゃ乗り越えられないことがきっとたくさんある…
それをわかっているかわかっていないか
自分じゃ絶対に気づかないし、親もきっとそう、近くにいすぎてわからないだろうね、
だから、そばにいてくれる人とか友達とか、他人でもいいけど、そういう人が「助けを求めていいんだよ」って言ってあげることが大事だよね
無知の知っていうか、
知らないこともあることをちゃんとわかっていないと、ね!
わたしは考えこむことだけはできるけど未熟だし、知らない世界だってまだまだある、できないことばかりだし、やっていけないことをまだやっていない、
その知らない領域を少しでも減らしていきたい、嫌な自分をちょっとだけ変えたい、
そういう2020年にしたい