夢みる頃を過ぎても
加湿器をやっと導入して、乾燥せずに寝られるぞってたのしみにしてたのに、
眠りに入って1時間で、寝苦しさで目が覚めてしまった
お腹も絶妙に空いてるし、なんかちょっと暑いし、どこかからかわからない息苦しさもあるし、
眠りにつく前に、奥山由之さんのすきな写真たくさん眺めてて、そうするとわたしのなかの写真撮りたいという気持ちが湧き出てきて、
今まで撮ったフィルムカメラでの写真を見返すと、自分でもいいなと思える写真がたくさんあって
奥山由之さんの写真が本能的にすきというか、ハッキリと彼の影響を受けているかはわからない、ずっとすきだけど、どのタイミングですきになったのかも覚えていないし、
ただ、下北のヴィレヴァン の写真集コーナーでBACON ICE CREAMを眺めながらめちゃくちゃすきだと思ってたことだけは覚えてる、でも3000円は高くて出せなかったから買えなかった、
大学2年のときに奥山由之さんの写真展に行ってホクホクしてたことは覚えているし、その前後から写ルンですはじめて、半年後くらいにフィルムカメラはじめた気がする
わたしも写真撮りたい!!!!が強かったことは覚えてる、ただ他のヒントが少なくてわからない
最果タヒさんの紡ぐ文章がすきで、エッセイ集を読んでる、そのなかで、写真の良さは「人の存在を丸々肯定できる、かわいいひとにかわいいって伝えられる」っていうところがあって(めちゃくちゃ丸っとまとめてしまった、ごめんなさい)
自分の見えない自分を、他者の視点で視覚的に伝えることができるのって写真特有のことで、
自分がこんなふうに笑うのとか、こうやって動いてるだとか、その愛おしさをその人なりに抜き取ったのが写真なのかな、と、
あ、だから写真撮るのだいすきなんだなと改めて思った
いつもどうやったらその人の良さをその人に伝えられるかを悩んでいるけど、手っ取り早いのが写真だった
iPhoneのカメラだと連写しちゃうんだけど、ブレてる写真ほどそのときの高揚感が映る気がするし、たくさん撮ると「まだ撮るの?笑」の照れた笑顔とかもさいこうにかわいい、しかもiPhoneで「写真を撮る」行為がより身近になったから、より自然体な写真がたくさん増える、ありがとうiPhone(?)
フィルムカメラは丁寧に1枚ずつ撮っちゃうけど、でもあたたかさとか光がそのときの気持ちが乗り移ったみたいで、しかも丁寧に撮るから、撮ったときの気持ちまで思い出される
いつかはぜんぶ思い出になってしまうんだと思って、忘れないように残しておこうって思ったことも
むかし、自分が体験したことは自分にしかわからないことだから、自分がいなくなってしまったら、折角味わった全てのことが消えてしまうことが辛くて泣いてた小四のとき、
きっとその悲しみを少しでも軽くできるのが写真を撮ることなんだと思う
視覚だけでも切り取れるなんて素晴らしい技術じゃない?
10月半ばからきのこ帝国の「夢みる頃を過ぎても」を無限に聴いてるんだけど、現実を真っ当に受け入れられないからふわふわと自分の見たいものしか見ない、どうせ覚めてしまう夢に浸って、きっと時間が経ってしまえばその割合が減っていってしまうとわかっていても、この息苦しささえも思い出せなくなるときがくるから
それなら苦しいまで限界まで行って、それだからみえるさきまで見たい、その心地よさも知ってるから、空が明けてきて世界が広がる感覚、逆にどこにも行けないことを思い出させる閉塞感、どちらも知ってるから、
だから苦しくても、噛み締めて、いつか思い出して、懐かしむことができたらって過ごす、きっとできるから、そうやってしがみついてるときの写真ってすごく美しいから、絶対にいまの景色を忘れたくないいまの気持ちを忘れたくないって深く刻まれていることがわかる
そんなかんじ!