忘れる
大学生になりたてのとき、
友達とご飯を食べにいったときにそのご飯の写真を撮ったら
「わ〜わたしそういうことできないわ、写真撮るの偉い〜」って言われて、
(わかると思うんだけど、)たぶんSNSにあげる為に、わたしが今日何を食べたかを知らしめる為に、写真を撮ったのかと思われてたみたいだけど、
わたしはいつも母にその日食べたものの写真を送ったり見せたりしているからその為に撮っていた、ただ身近な人にある種報告をする為に
「なにたべたの?」って聞かれて間違えずに答えるために
SNSが普及して、インスタで「映え」とかが主張され、
そもそもスマートフォンの普及で写真を撮る行為が身近になっていったなかで、その価値ってどこにあるんだろうって思って、
いつでも写真を撮ることができるからここぞというときに写真撮ることができる!みたいな
たしかにそれもいいし、
わたしが写真を撮ることがすきだったのは少なくとも小4?とかそれくらいで、
家族のデジカメを自分のものかのように色んなところで使って撮ってた!
高校生になってスマホを持たせてもらうようになって、(学校の指示で)登下校も含め携帯電話の使用はずっと禁止だったからあんまり写真撮る機会はなかったけれど、
たまにいいなと思ったものを撮ったり、
フチ子ちゃんにハマってたね!なつかしい
そういう感じで大学生になり、
2年生?のときに写ルンですがなにかのきっかけで気になって買い始め使い始めた
(勝手がわからず暗闇でめちゃくちゃ撮ってカメラ屋さんに怒られた)
そして写ルンですだと焦点を自分で調節できないし、色味もバリエーションがひとつしかなくてつまらないから、自分のフィルムカメラがほしいと思った
はじめて自分のフィルムカメラで撮った写真たち!
よく言われる「瞬間を切り取る」みたいなことがよくわかったし、こうして見返してもそのときの気持ちが蘇ってくる
だから写真がすきで
「切り取る」よりかは「栞を挟む」くらいの気持ち、たぶん、
その瞬間を忘れない為に全力で構えてもなにも記さないと忘れてしまうから、あとから思い出してもふわふわした気持ちになれるように写真を撮る
忘れないように
いま生活環境が変わってひさしぶりにカメラロールいっぱい遡って、
そうしたらあのとき話してたこと、笑ってたこと、思ったこと、よく考えていたこと、
なにを思ってこの写真を撮ろうかと思ったかも思い出してきた
すきなひとの住むところの近くのヴィレヴァン で写ルンですを買って「色味は自分のカメラのほうがすきだけどしょうがない」って思って、そのおうちの近くの写真をいっぱい撮って、
いつかきっとなつかしいって思えるのかなって思ってたけど、思えているよ!過去の自分!
だからわたしは写真を撮って気持ちを残すんだなって再認識した、
流れるように写真を撮って「ここで撮る?!」って言われたりもするけれど要所要所で格好付けて撮ったもので作る思い出はきっと本当の思い出ではなくて、
これはお父さんが洗濯もの干してくれていてその写真を撮ったの!
そんな小さい日常がだいすきだから、きっと大好きであり続けるから、
そのときの自分のために、これからの自分のために、
過去の自分に気持ちを分けてあげるために!写真を撮るよ
(誰も足下なんか見ない渋谷のスクランブル交差点)
自分の撮ったもののなかで優秀賞たちはこれ!光が綺麗
チェキもいいのいっぱいあるけれど取り込んでないから…